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随時所感

2020.05.07

安倍総理の緊急事態宣言延長会見(令和2年5月4日)を受け、改めて今回の新型コロナ禍から感じること

昨夜、私の尊敬する人生の先輩から5月4日の安倍総理の緊急事態宣言延長の記者会見に失望した旨、以下のメッセージをfacebookにアップしたので見てほしいと連絡をいただきました。

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【先輩】
本当に収束させる覚悟があるなら、皆んなが休業に向けて“前”を向いて同じ方向を向けるように国民への給付を最優先にして、皆んなで闘う態勢を整えてこそのリーダー…。
感染、経済、どっちに転んでもリスクゼロは無いのだから、こういう時こそ政府があらゆる叡智を結集して全てのことを網羅した平均台の上を往く結論を出し、”前へ!“の最善のプランを掲げ、今こそ強く、自信を持って陣頭指揮をとらなくてはならないときなのに、のらりくらりと本当に情けない…。
結果、こういうリーダーを我々が選んだことになる民主主義の責任を言われる方もみえますが、彼らとて自ら“立候補”して税金を仕切っている限り、非常時の国民への給付は最優先にするのが責務だと思います。
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そして、私と同じく先輩もお互いに懇意であると思っていただいているので、「中村と懇意である私がこのような記述をしてしまってよかったか?」と心配して連絡をくださったわけです。
私は先輩のfecebookの返信欄に以下の通りメッセージを書き込みました。
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【中村】
先輩へ
私は自民党の県議です。と言って、自民党を代表して発言できる立場ではありませんから、自民党のいち県議の個人的な意見として述べさせて頂きます。
まず、先輩のお気持ちはよく分かります。
緊急事態延長で休業要請も延長なら、協力金は払われるべきだと思います。
そもそも、休業要請なんて曖昧なことでなくて、休業命令を出して損害賠償をすべきだと思います。
しかし我が国ではそうした強権は法的に叶いません。
ですから、休業要請ということにして、協力してくれた事業者には協力金を支給することにしました。
それも国でなく自治体が支給することにしました。
今日までで緊急事態が解除されると思ったからこそ大変な出費であっても各自治体は行ったわけです。
このたび、国によりさらに延長されることになりましたが、前回同様に各自治体に協力金を払わせるのは財政的に限界がある(自治体は夕張のように破綻する可能性がある)ように思います。
ですから、追加の協力金の財源は、赤字国債を発行できる国に求められるべきであると思います。
その点の言及が無かった安倍首相の会見は自民党に所属している私であっても正直疑問に思いました。
ですから、私たちも上の言うことだから黙っているのではなく、しっかり発言していかなければならないと思います。一方的な感情的批判ではなく要望であり、進言であり諫言という意味で。
愛知県の協力金も当初は1000㎡の面積要件があったり、理美容には支給しなかったりしましたが、皆さんの声を受けて知事与党の議員らが声を上げて是正がなされました。
ですから、今回も緊急事態延長を決めた国が責任を持ってその経済的損害に手当てをするよう県会の場から出来る手立てを尽くして行いたいと思います。
そして、国が休業補償金を出せないと言うなら、緊急事態宣言を取り下げ、休業要請ではなく、徹底した感染予防対策を呼びかけて経済活動を正常化させる要求をするしかないと思っています。
これは考えておくべき大切な視点です。
自粛警察にみられる過激な自粛推進派がいて、この人たちの正義感からの行動が随分SNSや役所への電凸などで政治的にも影響力を与えているように思います。
安倍首相にしてみれば行くも批判、退くも批判しかありません。
でも、先輩の仰るように、平均台を往く結論で、どちらかの勢力に叩かれようが恨まれようが、全体を見て、より良い(より少なく悪い)決断が勇気を持ってブレずになされるべきだと思います。
これ以上の自粛による経済の毀損は、コロナ死者(今日現在、日本全体の死者521人)より、これからのコロナの影響による経済的自殺者(リーマンショックでさえ年1万人超え)の方が心配です。どちらも同じ命です。
自民党は良くも悪くもタカ派からハト派まで色々な政治家がいます。
きっと今回の会見に疑問を持つ自民党国会議員も少なからずいると思います。
黙ってるんじゃなくて、声を上げる(要望する・進言する・諫言する)時だと思います。
今日で連休も終わり明日から役所が開きます。私も登庁して微力ながら自分の立ち位置から努力します。
最後に、新型感染症はこの世の誰にも初めての敵との戦いなわけで、世界的に危機として捉えられました。
どの国も右往左往しながら試行錯誤しながら対処しています。
欧米に比べれば日本はよく頑張っていると思います。政府も国民も努力しました。
しかし、TVもSNSも批判ばかりです。政府に対しても国民同士でも。
最初から最後まで何の一片のミスも無い者などいません。
ですから、政治が未知なるものに立ち向かう時は、ミスを最小限にする努力とミスをしたら朝令暮改の批判を恐れず直ちにミスを認めて是正することが求められると思っています。
長文申し訳ありません。
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以上
この書き込みで、先輩には納得いただき、お互いに納得しあうことができました。
この際、私の知り合いの皆さんに申し上げておきたいと思いますが、私が自民党議員だから自民党の批判をすると私が嫌な思いをするのではないかという心配は、私はそんな思いをすることは決してありませんので、一切気にしないで自由にご発言・表現いただけたらと思います。
2019.8.20の随時所感「私が自由民主党に所属している理由」で書きましたが、自民党という政党はそういった批判を各所属議員がそれぞれのセンスで吸収できる可能性がある政党だと私は思っています。
以下、2019.8.20の随時所感「私が自由民主党に所属している理由」の抜粋
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なぜ自民党か?

正に良くも悪くも自民党が戦後政治の政権担当をしてきて、その路線は今後も大筋ではかわらないと思っているからです。

村山総理がそれを証明しました。

自衛隊は違憲だと言い続けてきたのに総理になった途端に合憲表明しました。

これまでも、これからもマイルドに現状の不合理を是正しながら進めて行く穏健な保守政治が続くはずですし、また、そうあるべきだと思います。

今の政治に不満があればそれは政権党である自民党の責任です。ですから意見の違うものがあれば私は自民党の中から変える必要があると考えます。

どう変えるか?

党内の多数派になることです。

自民党は総裁選挙を定期的にしています。党内の多数派を形成し得る担保です。

例えば共産党などは委員長選挙をしてるのか聞いたことがありません。

そういう政党であれば、気に入らなければ離党するしかありません。

自民党は色々な意見を持った党員がいます。だから派閥があります。

憲法への考え方も様々です。その人たちが議論して最後に多数決で決める。

その党の意思を所属議員が議会で採決する。

その様子を見て国民が選挙で自民党議員を当選させたり、落選させたりする。

これこそ、代議制民主主義の姿だと思います。

そのためには党内で我慢することもありましょうし、仲間とのコミュニケーションは必須です。

気に入らないから離党したところで結局かわりません。

一人だけで正論を吐いてみても自分一人の気持ちは満足できるかもしれませんが、なにもかわりません。

これが私が自民党に所属し続ける自民党の魅力です。

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ですから、現在の自民党政府を批判されても、それがまっとうな批判であるのであれば、それは今後の自民党を良くする(ひいてはそれが日本を良くすると私は考えている)ための現在自民党に所属している議員にとっての貴重な有権者の声(アドバイス)なわけで、嫌な思いをするはずがありません。
もちろん、私自身への批判であっても同じことです。
違う意見、あるいは今の私には気付けていない視点からの指摘は、むしろ自分の今の考え方を見つめ直す良い機会になります。
見つめなおしてもなお食い違う意見には「はいはい、あなたのいうとおりですね」と適当にいなすことも可能ですが、正直、私はそれができない性分です。
ですから、とことん議論させていただきます。
時には相手を言い負かした形になってそれでも結局納得いただけず恨まれることもありますし、お互いの考えの違いから新たな解答を得る場合、また、お互いの意見の違いを認めてお互いに納得しないことで収まることもあります。もちろん議論の結果、私の考えが間違っていたと気づけば、恥ずべき間違いを修正できるのですから、ありがたいことと思って考えを改めます。
私は「いかなる言論も自由であるべき」だと固く信じています。
ある方のある言動によって、その後、その人への投票行動(政治家の場合)や、その人との付き合い方を変えることはあっても、その言動(言葉の発信)をもって「番組を降板しろ」「辞職しろ」「謝罪しろ」だのという論には全く同調できません。ただ、「謝罪しろ」については、民法710条の損害賠償請求の対象になりうるもののみ、裁判によってなされるべきだと考えています。
この一連の新型コロナ禍から感じることは、「この国はまだまだタブーが多い」という事です。
食い違う意見を議論しあうのは大賛成です。しかし、違う意見に対して、議論で返さず「非国民」だの「それでも〇〇か?」などという感情論で罵るのは感心しません。
そして、それを数を頼みに行うことを私は「イジメ」と呼ぶのだと思っています。
特にワイドショー的TV番組には、それを煽っている印象を多分に感じます。
初めての新型感染症対策に右往左往した政府の施策はもちろんですが、その他にもマスコミの報道の在り方、SNSによる吊るし上げ的感情論、等々、新型コロナが収まった後にはキチンと、感情論でない正当な議論の中で再検証されるべきだと思います。
10年後あるいは20年後また来るであろう新型感染症対策あるいは巨大大地震よるパニックに備えるためにも。

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