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随時所感

2013.12.04

石破ブログ問題から改めて報道のあり方を問う

石破ブログ問題とは、自民党の石破茂幹事長が、特定秘密保護法案に反対する市民団体のデモ活動について、自身のブログで「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した後、お詫びとともにテロの文言を撤回した上で、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めた問題である。

これに対し、マスコミ各社は「合法的なデモ活動をテロになぞらえて批判したのは、国民を代表する国会議員として極めて不適切だ。(毎日新聞)」「デモの持つ重みを理解していないのなら、あまりにも鈍感で政治家失格だ。(中日新聞)」「『大音量という有形の圧力は認めない』という理屈をつけても、市民が正当に訴える手法を『テロ』にたとえる政治感覚は理解されないだろう。(朝日新聞)」など、異口同音に石破批判の一色である。

世論形成の大きな要因となるマスコミの論調が一色だという現象に危険性を感じるのは私だけであろうか。

確かに石破氏の表現に問題があったことは否定しないが、国会前で長時間にわたって大音量の拡声器でガナり立てる行為は、迷惑行為ではないのか?

多人数が集まるのは結構であるが、もっと粛々と街頭演説なり座り込みなりスマートにできないものか?

男性の野太い声で「ヤメロォー!」「阻止シロォー!」だのという大音量の絶叫は、選挙などで自身で街頭演説をすることもある私でさえも正直恐怖を感じる。

中日新聞の社説では次のように述べられている。

「特定秘密保護法案や原発再稼働に反対するデモ活動が、警備の厳重な国会周辺で今も行われているのは、法律や条例に違反していないからだろう。ベテラン政治家なら、その程度のことはご存じのはずではないのか。」と。

はたして、本当に法律違反ではないのだろうか?

私は以下の法律に明らかに違反していると思うのだが、中日新聞という少なくとも名の知れた新聞社なら、「その程度のことはご存じのはずではないのか。」と貴社の言を借りて申し上げたい。

◆国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律<抜粋>

最終改正:平成一一年一二月二二日法律第一六〇号

(目的) 第一条

この法律は、国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域における拡声機の使用について必要な規制を行うことにより、これらの地域の静穏を保持し、もつて国会の審議権の確保と良好な国際関係の維持に資することを目的とする。

(定義)第二条

この法律において「国会議事堂等周辺地域」とは、別表第一に定める国会議事堂周辺地域及び次条第一項の規定により指定された地域をいう。

(拡声機の使用の制限) 第五条

何人も、国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域において、当該地域の静穏を害するような方法で拡声機を使用してはならない。

2  前項の規定は、次に掲げる拡声機の使用については、適用しない。

一  公職選挙法 (昭和二十五年法律第百号)の定めるところにより選挙運動又は選挙における政治活動のためにする拡声機の使用

二  災害、事故等が発生した場合において、人の生命、身体又は財産に対する危害を防止するためにする拡声機の使用

三  国又は地方公共団体の業務を行うためにする拡声機の使用

(違反に対する措置) 第六条

警察官は、前条第一項の規定に違反して拡声機を使用している者があるときは、その者に対し、拡声機の使用をやめるべきことその他の当該違反を是正するために必要な措置をとるべきことを命ずることができる。

(罰則) 第七条

前条の規定による警察官の命令に違反した者は、六月以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。

(適用上の注意等) 第八条

この法律の適用に当たつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。

2  この法律の規定は、法令の規定に従つて行われる請願のための集団行進について何らの影響を及ぼすものではない。

以上。

つまり、同法は、第5条第2項に列記された使用以外には国会周辺において平穏を害するような拡声器の使用を禁止しているのである。男性の野太い声でガナり立てるのは、どう斟酌してもアウトである。

繰り返しになるが、石破氏の「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」という表現は私もいかがなものかと思う。そして本人もそう思ったから訂正し、謝罪したのだろう。しかし、今回の件で私が極めて問題だと感じるのは、石破氏の表現が「いかがなものか」ということ以上に、その先のマスコミの姿勢が「いかがなものか」ということである。

マスコミがしていることは、訂正した後に訂正前の政治家の言葉尻を捉えて「けしからぬ、けしからぬ」と批判するばかりで、もう片方にある国会周辺でガナり立てる行為がデモとして相応しいのかという事については一言も触れていない。上記法律違反の疑いがあるにも関わらず。

政治家の問題ある発言(ブログへの書き込み)に対し、訂正後も執拗に糾弾し、言葉狩りをするのは、それこそ表現の自由への侵害と本質的に変わらないのではないだろうか?

これらのマスコミ(新聞社等)が「特定秘密保護法案に反対」という立場には理解する。しかし、このような手法で特定秘密保護法批判に結びつけて一方的偏向報道をするというのはいささか幼稚が過ぎるのではないだろうか?

ひとつの事象には必ず表と裏の側面がある訳で、その両方の言い分を、互いに触れて欲しい部分、触れられたくない部分、それぞれ出し合って「読者(視聴者)の皆さん、どう判断されますか?」というのが正しい報道のあり方ではないだろうか?

ホテルの食品偽装に限らず、マスコミのみなさんも、これまで数々の偽装・捏造を行ってきた。例えばTV番組「ほこたて」「あるある大事典」等々。

だから、今後、報道において、主観を述べるのは自らやめていただきたい。

過去に起こしたマスコミの間違いをあげつらい、糾弾したいのではない。絶対に間違いを起こさないマスコミなどというものは、これまでも、今後も、そのようなものは存在しないということをマスコミ自身が謙虚に自覚すべきなのである。

よって、事実のみを摘示し、その評価については表と裏の側面(その事象に対する検察側と弁護側の主張)の両方を示して、その後の判断は読者・視聴者に委ねるのが、本来のマスコミ(報道)の役割なのであって、そして、委ねられた一人ひとりの国民がそれぞれ自分の頭で判断をし、その判断の集積が民主主義なのである。

極悪非道の殺人者にだって裁判になれば“攻める”検察官と“守る”弁護士がつくわけで、たかだか指折り数える程しかライバル会社のいない、言わば“カルテル状態”のマスコミが、世の中の検察ぶって自分の都合の悪いことには触れず、相手側に弁護士役を立てさせることもせず、自分の都合のいいことばかり独善的にたれ流すなど、かつての大本営発表と同じではないだろうか。

それを公権力によって制限することは、それこそ「表現の自由」の侵害に当たり、すべきでもないし、憲法上不可能である。

すべては、マスコミ各位の自助努力にかかっている。

私の所属している自民党は長き政権の座にあぐらをかき、民主党の政権交代ブームで下野して以来、反省するところもあり、少しずつではあるが変わってきたように思う。また、今や瀕死の民主党もこれから挽回するためには変わらざるを得ないであろう。

いつまでたっても変わらないのは、時代が変わった今も遠い昔の学生運動のノリで偏った思想に固執し、客観的に自分を見つめることもできず、唯我独尊・わがまま放題であっても、誰にもそのことを“表現の自由”を盾に批判されることのないマスコミだけである。

重ねて申し上げる。

日本のマスコミ・報道関係のみなさん、あなたたち自身の自助努力に我が国のこれからの民主主義がかかっている。自覚されたし。

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